「人間の安全保障」を求めて●●
               
日本反核法律家協会 事務局長 大久保賢一 


9月11日のテロ事件への「自衛権」の発動として、米英軍などの武力行使が継続している。
私たちは、いかなる政治的思想や信仰に基づくものであれ、無関係の人々の命を奪う形での行動を容認することはできない。テロの標的が、ペンタゴンやツインタワービルであったこと、実行行為者が自らの命を賭していたこと、テロは「最後の絶望的反応」(加藤周一)であるということなどを考慮したとしても、この結論を変えることはできない。
自らの要求を実現するために他人の命を奪うことを承認することは、戦争や死刑を否定する論拠を根底の部分で否定することに繋がる。そして、人の命を価値の根本に据えることができなくなってしまう。
けれども、このことは米英などの武力行使に賛成することを意味しない。この行動は、多くの人々の命と生活を奪う行為であるし、証拠の提示や弁解・防御の機会のない、即ち裁判抜きの死刑の執行(私刑)を意味している。人道に反し、法的手続きを無視する行為なのである。人道と法を無視する「国家の自衛権」が問われなければならない。「国家の安全保障」から「人間の安全保障」へのパラダイム転換が求められている。
 私たちは、米英などの武力行使を「自衛権の行使」とすることはしない。前時代的「報復戦争」あるいはアフガニスタンに対する「侵略」の可能性すら否定できない。自分たちの承認しない政権を打倒し、新たな政権を樹立しようとするのは「民族自決権」の侵害にあたるであろう。
他方、私たちは、テロリストの処罰も必要だと考えるし、テロの温床も無くしたいと考えている。そうすると私たちの課題は、米英などの武力行使を停止させ、テロリストを法的に裁き、世界から「絶望」をなくすということになる。それができない限り、私たちは、日常的な不安と恐怖の中に生活しなければならないことになる。
 現実的な問題として捉えれば、核兵器の先制使用とNMD・TMD構想に固執し「市場原理」を至上命題とするアメリカの世界戦略に対抗しつつ、愚かな日本政府の対応を乗り越えて、「人間の安全保障」を実現する方法を確立しなければならない。国連も国際法も今回の事態に十分な機能を発揮していない。テロリズムの定義すら合意されていない。「法の支配」のシステムは未だ確立していないのである。反核法協の役割が期待されている。
(2001・11・7)