コスタリカ視察旅行報告 「コスタリカに学ぶ-軍隊なき平和国家-」    

       池 田 眞 規 (弁護士)     日本反核法律家協会副会長


  はじめに 日本反核法律家協会は、憲法九条が危機的な状況にある日本と反対に、内戦の絶えない中南米
で軍隊を廃止して半世紀、非武装・中立政策を堅持している模範的な平和国家、そして自然保護の先進国コス
タリカを見聞しに行ってみようと、
協会の会員と市民に呼びかけた。

  これに応じた混成訪問団(弁護士六名・市民一〇名)は、本年九月二四日から三日間コスタリカを訪問した。
滞在中、自然保護地区モンテベルデ雨霧林の訪問、ホセ・フィゲレス元大統領夫人カレン女史の招待昼食会、
ヴァルガス国際反核法律家協会副会長(国際法学者)のレクチャ−、平和教育現場の小学校訪問、自然保護の
生物多様性研究所、国会、米州機構人権裁判所の訪問、最後は訪問団側のカレン女史、ヴァルガス氏への
返礼招待晩餐会という濃密なスケジュ−ルを精力的に消化した。 これらの体験のなかからその一部を紹介した
い。
☆『軍隊は必要がない』という考え方を共有するカレン女史は私らを歓迎昼食会に招き、私らの訪問に対し「私が
非常に感動しておりますのは、皆様方がこの小さい国コスタリカと同じに、軍隊を持つ必要がないという考え方を
もっていらっしゃる、ということです。コスタリカは、軍隊はいらないという考え方をみんなが共有している国でござ
います」とさりげなく語り始めたのに、まず、えらい国にやってきたものだと思った。
 彼女自身国連大使、イスラエル大使、中米大使などを歴任した政治家である。彼女の亡き夫フィゲレスはコス
タリカの常備軍廃止の宣言をしたその人である。一九四八年大統領選挙で、彼女の夫が率いる野党(民主党・
社会民主党連合)はウラテ候補を立てて当選させたが、与党(国民共和党・人民前衛党)は特別国会を開き
落選した与党候補者カルデロンの当選を宣言した。
これに反発したフィゲレスは、この無法な政権に対して武装蜂起を宣言して武力で政府軍を圧倒し、反政府軍
はサンホセに入り、
フィゲレスを議長とする政府評議会が成立する。そして彼は「軍隊はしばしば国民を弾圧するために使われて
きたが、我々は今後対話による解決を選ぶ。軍隊はもういらない」と常備軍廃止を宣言する。これに関連して、
前記大統領選挙で当選したウラテを大統領として確認し、国政の徹底した民主主義制度への改革、清潔な
選挙制度の確立、平和教育の実施、貧困層のための社会政策
など革新的政策を掲げて実行に取りかかり、翌一九四九年一一月に常備軍廃止の憲法を制定する。
 以後現在まで、五一年間、コスタリカ政府は非武装政策を継続し、国民は政府の非武装政策を支持し、政府
も国民もこれを誇りにしてきた。

☆『紛争を解決するのに、人を殺さないで解決する方法 はないのか』
 フィゲレスはこの革命に重要な役割を果たし彼自身もウラテの次に大統領となる。その後に彼はカレン女史と
結婚する。生まれた息子も一九九四年に大統領となる。 武力で政権を奪取したその張本人が、なぜ武力廃止
という政策を決断したのか。それは長い
議論を経た上で、革命を契機に実現したものらしい。カレン女史、ヴァルガス氏の話を総合すると次のようだ。
 コスタリカの人々は伝統的に自由な議論をしてきた。地方の人々と都市の人々との富の格差の不公正の是正
などに費用が必要なのに、戦争に費用をかけるのにどのような意味があるのか、それよりも、紛争を解決するの
に軍隊によらない方法、つまり人を殺さない方法で解決する方法はないのか、それには対等な対話・会談・和解、
国際管理や軍縮などいろいろな方法が考えられるではないかなどと、早い時期から考えてきたというのである。 
フィゲレスの率いる武装蜂起は、夢をもった若者らに支えられて成功した
という。常備軍廃止は彼らのかねてからの夢であったと言いたいようである。それが事実だということは、いろいろ
話を聞くうちに分かってきた。

☆未来主義=夢に向かって『終わりなき闘い』
 カレン女史は、度々『未来主義』という言葉を使う。また『終わりなき戦い』という言葉も彼女は使う。これは彼の
夫が持っていた農場の名前でもあるのだが。
 彼女によれば、未来主義は常に夢を持ち未来に向かって前進、発展することであり、その前進・発展は技術や
経済の発展・成長だけを考えるのは間違いである。技術と心が一つでなければならない。発展というのは、平和
を目指すものであり、人間或いは人類の前進・成長と考えなければならない。それは人間の生命を大事にすること
を基本にして、常に今より良い社会を実現するという夢に向かって「終わりなき前進」をすることなのだ。
 彼女らコスタリカの政治家らは、この考えを国政の基本に適用することを当然のこととしているようである。 軍隊
による武力行使は「人間を殺し、すべてを破壊すること」であり、人間にとって前進・発展ではない。国家間の、また
国内における政府と国民の間の、意見の違いから生ずる紛争を武力による「殺戮と破壊」によらない方法で解決する
ことが、人類・人間にとっての「発展・成長」である、というのである。そう言われれば至極当然のことであり、単純で
分かりやすいが、これを政治の適用することに何ら躊躇することがないのが凄いところである。こうして、あたり前の
ことを、国政の中で実現してきたのがコスタリカである。しかし、その前進は止まらない、解決すべき問題は山ほど
ある。これからも夢に向かって「終わりなき闘い」は続くのである。

☆軍隊を廃止しても国家は安全に存続する

 フィゲレスらが政権の座に着き、常備軍の廃止を実施して、すでに半世紀以上経過している。憲法は常備軍の廃止
条項の次に、防衛のための軍隊の再組織を認める条項も合わせて規定している。しかし、この半世紀の間にこの条項
を発動したことは一度もない。

 彼らが外敵による『軍事侵攻や侵略の脅威』に対し、如何なる方法で対処しようと考えていたかについて、カレン
女史とヴァルガス氏との会談のなかで、話題にする時間がなかった。しかし、軍隊を廃止したコスタリカは半世紀以上
も外敵の軍事侵略による国土占領をされたことがなかったことは厳然たる歴史的事実である。軍隊がなくても国家は
安全であるとコスタリカは証明した。
 コスタリカ国民が「軍隊はいらない」という考え方を共有していることは、国民が政府の非武装政策を信頼している
ことを意味する。この信頼は、外敵の軍事侵略の脅威を国民が心配していないということである。
 その実例を私らは体験した。私らが自然保護地区モンテベルデに行ったときのバスの旅のガイドさんは若いコスタ
リカ青年であったが、コスタリカという国の紹介で「コスタリカ人が誇りに思うことは二つあります。一つは軍隊がない
こと、もう一つは自然が保護されていることです」と誇らしげに喋っていた。「外国からの侵略の心配はないの」と尋ね
ると「資本を投資しているから侵略しないよ」と呑気な返事で笑っていた。侵略の心配などしていないのである。考え
てみると、国民が「軍隊がないことを誇りに思う」ということは、軍隊で人を殺すことをしない国であることを誇りに思う
という側面と、軍隊が無くても自分の国は他の国から軍隊で侵略されることはないという安心感の側面との両面が
あるが、コスタリカの国民の場合その両面を享受しているようだ。

☆非武装コスタリカは何故侵略されないか。
 何故、コスタリカに対して、他国は軍事侵攻をしないのか、また出来ないのか。コスタリカの実施してきた内・国際
政治の実際をみると次のように説明できる。
 コスタリカの指導者らが「軍備を廃止しても外敵の侵略を受けない方法」として考えた政策は、積極的方法と消極
的方法との両面を考えていたと思われる。

 1、まず積極的方法としては、積極的な非武装・中立・仲裁外交を展開することである。具体的には、地域的集団
安全保障機構である米州機構に「軍事協力はできないことを条件」として加盟し、また米州相互援助条約(リオ条約)
に加盟することによって、外国の軍事侵略に対し、集団安全保障機構を有効に利用して、自国への侵略を未然に防止
する方針に徹していたこと、他の国において軍事的紛争が発生したときは、コスタリカの大統領や大使が紛争当事国
或いは内戦の政府軍と反政府軍の双方に対して積極的に仲裁役を買ってでるという仲裁外交をしていること、また他国
の内戦による避難民や亡命者に対しては「コスタリカ領土は政治的な迫害を受けたすべての者に対する政治的避難所で
ある」という憲法三一条の考え方によって、迫害を受けた者や難民を受け入れること、などを平和に向けた積極的活動をし、
そのために近隣諸国民の信頼を得て、紛争をなくすための外交姿勢に徹したことである。しかし一九八〇年に入り、隣国
ニカラグアの内戦は左翼政府軍と反政府軍及びこれを支援する米国間で激化し、コスタリカ領土に侵害波及の危機が迫
ったとき、ときの大統領モンヘは、世界へ向けて「如何なる武力紛争に対してもコスタリカは永久に非武装中立である」
という大統領宣言を発表し、各国政府に対し支持を求めたのである。これは多くの国の支持を受けたが、支持をしなかった
のは米国だけであった。だが、この積極的な中立宣言によってコスタリカは侵略の危機を脱したのである。コスタリカの
一貫した積極外交は、中米地域の平和に貢献してきたのである。モンヘ大統領の後を継いだアリアス大統領は、一九
八九年に中米の平和への貢献によってノ−ベル平和賞を受賞する。
 また、国連平和大学や米州機構の人権裁判所などを国内に誘致し、国際的な平和機関の活動に貢献している。 
こうしてコスタリカは周辺諸国からは平和国家としての信頼を獲得し、自国の政治努力によって、他国からの軍事侵攻を
受ける危険を積極的に除去してきた。軍隊のない国が地域の国際社会の平和の実現に貢献し、同時に自国の安全をも
確保するという成果を挙げることができることをコスタリカは証明したのである。

 2、次に軍事侵攻を未然に防止する消極的方法は、コスタリカの指導者らは「民主主義国家を建設すること」であると
考えたのである。そのためには第一に国の政治の民主的制度化を徹底すること、第二に国民に非武装の平和教育を
徹底すること、この二つを完成する
ことによって、コスタリカという国は他国に対して軍事侵略を絶対にしない、つまり侵略者にはならない国であることを
他の国に対し保証をすることになると考えたようだ。

 1. まず彼らは、国政の民主化の第一は清潔な選挙制度の確立が先決だと考える。その方法として立法、行政、
司法の「三権」から独立した第四権の常設の『選挙管理裁判所』という近代憲法学の通説にもない国家機関を創設し、
これに選挙のすべてを管理させることにした。 この選挙管理裁判所はすべての干渉から独立して民意を反映した
清潔な選挙を実施する権限と責任を持つ。選挙の結果の発表も選挙管理裁判所が行うのである。
また、従来の憲法に規定されていた大統領の再選禁止規定は厳格に適用されることになり、国会議員(定員五七名
の一院制)の定数も二年毎に行われる各選挙区の人口調査により是正され、国会議員は二年連続の立候補は禁止
される。選挙運動は他の候補者や政党への誹謗中傷の禁止などの制限を除けば、選挙運動の期間、文書の配布、
戸別訪問などについての制限はない。
選挙は国民的な重要な行事であるので小学校の児童も模擬投票を行いその投票結果も発表する。国民はどの候補
者が国家に貢献する政治家であるかを自分で判断して投票をする。こうして選挙から利権や情実を完全に排除したの
である。

 2. 選挙改革と並行して最も重要な仕事は、学校での非武装平和教育である。軍隊の廃止によって余った軍事予算
(国家予算の三分の一)を教育費と社会保障費に充当したのである。この結果、識字率は九七%、中南米諸国で最も
高い識字率となり、国民所得も最高となる。  問題は平和教育の内容である。そこで私らは小学校の教育の現場を
調査することにした。私らの訪問した学校はサンホセの貧困層の居住する地域の小学校であった。 ここでの教育の
実態は目を見張るものであった。児童の教育の目標は、事実を批判的に見る子、創造力のある子、他人に優しい子、
平和を求める子に育てるなどであると、案内の先生から説明された。各教室の授業を見学して回ったが、いずれも、
子供らに考えさせる工夫をした授業である。見学した最後の教室で私らと児童が対話をすることになった。広島で被爆
した吉本トキ子さんが原爆体験を語ることになった。児童らははじめて聞く原爆の話を、真剣な眼差しで聞いていたが、
終わってからの彼らの質問は「そのような爆弾を誰が、何のために落としたのか」「放射能というのは何故いつまでも体の
なかにいるのか」「私らは何をしたらいいのか」など小学生の質問とは思えない鋭いものであった。子供らへの創造性に
満ちた平和教育の実態を期せずして私らは目の当たりにすることができたのである。

☆コスタリカ訪問は、短い時間に余りにも豊富な問題を提供され過ぎた。少なくとも国家が軍隊を捨てる代わりに、清潔な
選挙で民主主義国家を造り、非武装平和教育に徹して積極的な平和外交をすれば、その国家は侵略を受けずに発展して
きた国が存在していることを知った。それは日本国憲法の理想を忠実に実現した国であった。 この事実を日本の政府と
国民に知ってもらいたい。