核兵器の廃絶をめざす日本法律家協会
 
 
 
 
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広島・長崎原爆事件を米州人権委員会に持ち込む可能性について

山本リリアン
 本稿は、広島、長崎の原爆者による請求を米州人権委員会に提出する可能性について考察する。この請求は、米国による原爆投下および米国が日本の占領以降被爆者を援助してこなかったという米国の懈怠を対象とする。さらに、土地管轄、時間的管轄および継続的侵害の解釈に関する前例を検討する。
1. 背景
 1945年8月6日に原子爆弾リトルボーイがB-29エノラ・ゲイ爆撃機の乗員によって広島に投下され、直接におおよそ7万人が死亡した。1945年末までに、9万人から14万人が死亡した 。
  米州人権宣言(1948年)は、1951年6月19日に米国について効力を有している。当時、米国軍がまだ日本を占領していた。米軍は、1952年4月28日に日本を後にし、米州人権宣言が米国に対して効力をもっていたにもかかわらず 、広島・長崎の被爆者には何の援助も提供されなかった。
  生存者は、現在でも原爆投下による身体的、精神的な障害および就労不能、原爆の影響による病気にみまわれている。癌、白血病、血液細胞の異変および老化に対する影響などである。これらの後障害は現在でも継続しており、被害者の人生に凄まじい影響を与え、本人および彼らの家族を永続的に苦しめている。
  米国について米州人権宣言が既に拘束力を有していることに鑑みると、米国当局による支援の懈怠は、米州人権宣言1条(生命に対する権利)、5条(名誉、個人の名声、私的な家庭生活)、 7条(母子の保障に対する権利)、11条(健康および幸せを維持する権利)、18条(公平な裁判を受ける権利)の違反を構成する。
2. 許容性に関する要件
 許容性に関する要件は米州人権委員会内規で定められている。すなわち、国内的救済の完了(31条)、6ヶ月間ルールの遵守 (32条)、請願又は通報が扱う問題が、解決のために他の国際的手続に係属中でないこと(33条1項A)、及び請願を提出する個人または団体の法令上の代表者の氏名、国籍、職業、住所および署名を含んでいること(28条)である。
  広島の原爆投下の場合、すべての要件を考察することが重要である、特に国内救済の完了を検討しなければならない。(山田寿則の論考がこれについて検討する)。
2.1. 人的管轄
 OAS憲章3条は次のように定めている。「米州機構の加盟国は、次の原則を再確認する。1米州諸国は、人種、国籍、信条または性の差別のない個人の権利を宣言する」。また、米州人権条約1条は、「その管轄の下にあるすべての人」について規定する 。すべての人は国籍と関係なくあるいは無国籍者であっても、人権が保障されている。米州人権宣言1条は「すべての人間は生命に対する権利、自由に対する権利および安全性に対する権利を有する」と定められている。したがって、米州機構の締約国の国籍を有する者だけに制限されていない。2002年2月19日に米州人権委員会が、スーダンおよびエジプトの国籍を有していたイキバル・イスカンデールの退去を停止するために予防措置を決定した。イスカンデールは、宗教に基づく迫害を理由としてカナダで難民認定を申請した。委員会がカナダ政府に退去を行使しないように求めた 。この場合、請願人は米州機構の締約国の国籍を持たなくても、委員会の保障が及んだ。このように、問題となるのは被害者の国籍より、その者は、米州機構の締約国の管轄権の下にあったかどうかである。原爆投下の時、広島に対する米国の管轄権が認められる場合、米州人権宣言の保障は、被爆者である日本人にも及ぶ。
2.2. 土地管轄
 広島・長崎への原爆投下に関する米州人権委員会の土地管轄の問題は次の疑問を生み出す。日本は、原爆投下の時、米国の管轄権の下にあったのか?日本は米州人権委員会の管轄権の下にありうるのか?米州人権宣言および条約の域外適用に関する先例は米州機構の加盟国内での事件に関係するものであった。
  米州人権委員会および欧州人権裁判所は、以下のように国家の領域外で行った人権侵害に取り組んできている。
  コアード事件 は、グレナダの政府の打倒にかかわっていた人による請願であった。軍事行動が行なわれた際 、多くの人々が逮捕された。請願人たちは、米軍は彼らを隔離拘禁状態に置き、9日から12日の期間に彼らを虐待したと主張し、1991年4月25日にそれに関する請願を提出した。
  「特定の事情の下では、域外での行為に対する管轄権の行使は、関係規範に合致するだけでなく、その規範によって要請されている。個人の基本的な権利は、平等および非差別原則に基づいて、『人種、国籍、信条、性の差別もなしに』米州で宣言されている。個人の権利が、人の人としての性質(humanity)のゆえに付与されていることを考えると、すべての米州機構の加盟国は自らの管轄権の下にいるあらゆる人の保障された権利を守る義務を負っている。一般的にそれは、国家の領域内にいることを意味するが、所与の事情下にある場合、それは、当該人が一カ国の領域内にいる場合であって、他国の代理人の行為を通じてこの他国の支配に服従している場合での域外での行為を意味することもある。一般的には、審査にあたっては、被害者と推定される者の国籍あるいはその者が特定の地理的区域にいることが重視されるより、特定の事態において、国家が自らの権限および支配の下にある者の権利を保護しているかが重視される。 (セルナによる強調)」
  アフガニスタンおよび他の場所で逮捕され、キューバのグアンタナモで収容されているおおよそ300人を代表する予防措置の請願 では、委員会が、「権限および支配」を援用して自らの管轄権の行使を正当化した。委員会は、この予防措置に関する決定では、バンコヴィチ事件 に言及しなかった。バンコヴィチ事件では、旧ユーゴスラビアの市民たちが、NATOによるラジオ局への爆撃で無くなった親戚を代表し、欧州人権裁判所に請願を提出した。NATOの加盟国は、欧州人権条約の加盟国でもあった。
裁判所は、欧州人権条約はヨーロッパの公の秩序を保障するために作られたと判示した。旧ユーゴスラビアが、条約の「法的スペース」になかったので、同裁判所はNATO加盟国に対して管轄権を有しないと判示した。予防措置の決定では、米州人権委員会は、このバンコヴィチ事件に言及しなかったので、したがって米州人権宣言の保障は米州のみに制限されていないことを推定することができる。
  現在、イラクで侵害された人権についてのるファルージャ総合病院 ,に関する予防措置の請願およびアフガニスタンおよび他国で収容されている抑留者 の権利を主張する請願が米州人権委員会に係属中である。
  宣言および条約は締約国の管轄権の下にあるいずれの人に適用される。「管轄権」とは、一カ国が公的に個人に対して行使していることを意味し、それは自国の領域や他の場所で行うことに関わらない 。このように、広島・長崎の原爆投下は、現地にいた人々に対する米国の当局の行為の結果であるといえる。
2.3. 時間的管轄
 時間的管轄権は、この件では極めて重要な課題である。広島・長崎への原爆投下は、米州人権宣言(1948年)が作成される前の1945年に行われたからである。米国について、米州人権宣言は1951年に発効した。なお、米州人権委員会は1959年に設立された。しかし、この事件は、委員会が設立される前に生じたにもかかわらず、本件による結果は現在まで継続している。被爆者は、精神的、身体的障害でなお苦しんでいる。
3. 継続的人権侵害
 ある行為が特定時点でなされ、かつその原因行為の帰結のためにその行為が継続しているときに、継続的侵害が生じる。
  継続的侵害の概念は、過去の人権侵害の調査義務の懈怠に対して委員会の管轄権を及ぼすために適用されてきた 。
  モイワナ事件 では、米州人権裁判所は、スリナムが裁判所の管轄権を受諾する前に行われた事件を検討しなかった。しかし、当該政府が裁判所の管轄権を受諾した後の事実を検討した。同裁判所は、自らの管轄権は米州条約の批准の前に行った事件であっても、それに対して国家が調査する義務の懈怠に対しては管轄権を有すると述べた。
  タメス事件 では、被害者は、1988年10月に被害者が軍事警察官によって逮捕され、虐待を受け、翌日に死体が刑務所で見つかった。米州人権委員会は、ブラジル政府が米州条約を批准する前に生じた事実に対して、自らの管轄権を認めた。同委員会は次のように述べた。「ブラジルは、1992年9月25日に条約を批准したからといって、同条約を批准した前に行った人権侵害に対する責任を免れない。当時、その人権は米州人権宣言で保障され、拘束的性質を有していた」。
  ブレーク事件 では、アメリカのジャーナリストがグアテマラ当局によって殺害された。当時、グアテマラは裁判所の管轄権を受諾していなかった。ブレークの強制的失踪は1985年から1992年にかけて継続した。グアテマラ政府は、1978年に米州条約を批准し、裁判所の管轄権を1987年に受諾した。したがって、強制的失踪に関しては、裁判所は自らの管轄権を行使した。
  前述したすべての事件は、宣言および条約の権利に対する継続的侵害であり、委員会が設立された後に関する事件である。当該国が、米州人権条約を批准した前に行った事件であっても、米州人権宣言は当該国に対しては、拘束力をもっていた。
  広島・長崎で生じた事件は、米州人権委員会の設立および米州人権宣言が作られる前に行われた。しかし、この事件に影響は現在までも継続している。
  米国政府は、米州人権宣言に拘束されており、広島・長崎の原爆者の障害を最小限にする何の措置もこれまでにとっていない。
4. 暫定的結論
1. 広島・長崎の原爆投下事件を米州人権委員会に持ち込む前には、米国の国内救済を 尽くさなければならない。
2. OAS憲章によれば、米州機構の保障は「人種、国籍、信条または性の差別なしに」被爆者にも及ぶと推定することができる。
3. 先例では、委員会による領域外への管轄権適用のテストは、領域に対する「権限お よび支配」であった。しかし、本稿で検討した事件は、米州機構の加盟国による自国外の行為であるが、米州地域外の行為ではなかった。米州機構の地域外での事件に関する請願はまだ係属中である。グアンタナモの抑留者のための予防措置では、委員会が「権限および支配」の主張を適用した。したがって、委員会の管轄権の適用は、米州機構の領域外にも拡張すべき基準に基づいている。
4. 広島・長崎の原爆が委員会が設立される前に行ったことおよび米州人権宣言が作られる前に行ったことは、原爆者の現在まで継続する後遺症に対する米国の責任を免除しない。米国の当局の懈怠は継続的侵害であると解釈できるかもしれない。
  この研究の段階で確認された主な限界は、土地管轄権および時間的管轄権である。今後、委員会によりファルージャ病院のための予防措置およびアフガニスタンその他の国の抑留者のための予防措置の決定なされるなら、委員会の土地管轄権についての限界を確認することができるだろう。時間的管轄権の問題に関しては、継続的侵害の概念をより詳しく検討することが必要となる。

参考文献

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