核兵器の廃絶をめざす日本法律家協会
 
 
 
 
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「保有国を巻き込む必要性」という議論の意味すること

大久保賢一

 岸田文雄自民党政調会長(前外務大臣)が「核兵器のない世界を実現するためには、核兵器国と非核兵器国を巻き込む議論が必要だ」という意見を述べている(毎日新聞・12月13日付朝刊)。その主張が意味することを検討してみたい。

 氏は、ICANのノーベル賞受賞は歓迎するし、被爆者の取組みは尊いものだとしている。そして、日本政府も「核兵器のない世界」を目指すという大きな目標は共有しているともいう。ただ、それぞれの立場で果たすべき役割があるというのである。
 その日本政府の役割とは、「核兵器国と非核兵器国、非核兵器国間の対立が深まる中で、それを解消し、再び協力できる道筋を考えること」だという。非核兵器国間の対立というのはNPT派と禁止条約派の分裂をいうようである。
 この役割分担論についての疑問は、そもそも、核兵器国が「核兵器のない世界」のために非核兵器国に協力してきたことなどあるのかということと、NPT派と禁止条約派の対立とはどういう意味なのかということである。
 核兵器国は、核不拡散には熱心だったけれど、NPT6条の核軍縮交渉義務・完結義務は履行して来なかった。その義務は、核不拡散との取引だったはずである。核兵器国と非核兵器国の対立の深まりの原因は、その義務を履行しなかった核兵器国にあるのであって、双方に原因を求めるのは公正ではない。また、禁止条約は,NPTについて「核不拡散・核軍縮の礎石」、「国際の平和及び安全促進において不可欠」としているところであって、そこに対立などない。日本、韓国、オーストラリア、NATOなどが禁止条約に反対していることは事実であるが、禁止条約に賛成している国はNPTに加盟しているのである。そういう意味では、みんなNPT派なのである。対立・分裂という用語は印象操作かフェイクの類である。

 また、氏は「日本は法的拘束力のある条約を否定していない。ただ、核兵器国が行動を起こさないと、現実は変わらない。核兵器国を巻き込んだ既存の枠組みを生かし、実際に核兵器の数を最小限まで減らした上で、法的拘束力のある禁止条約を使って一気に核兵器のない世界までもっていく。」という構想を披歴している。これは非常にユニークな提案である。既存の枠組みで、核兵器の数を最小限まで減らそうというのである。それが出来ていないから問題なのに、今のままで出来るというのである。他方では、最小限まで減らしたら、禁止条約を作って、一気になくすというのである。そこまで減らしたなら、そのまま減らし続ければいいだけの話で、わざわざ条約を作る必要などないであろう。こんな構想が高く評価されたなどと言われてもとても信じられることではない。

 更に、氏は、外相時代に提唱した「賢人会議」に、来年のNPT再検討会議に提言を提出してもらいたいと期待している。この「賢人会議」が、核兵器のない世界に向けて、例えば、「NPT6条に基づく核軍縮交渉を速やかに開始しなさい」というような提言を出してほしていと期待するのは、私だけではないであろう。「禁止条約派」はその提案に反対しないであろうし、氏が心配している対立もすべて解消するであろう。そういう提言をしてこそ「賢人」の名にふさわしいといえよう。

 氏は、「禁止だけを叫んでも事態は動かない。全体のバランスの中で核廃絶に向けたシナリオを描き、より実践的に核兵器を進めていくのが、日本の役割だ」と結んでいる。
 私は、氏の提案が核廃絶に向けたシナリオになっているとは思わない。核廃絶に向かうというよりも、核兵器に依存し続けようという呼びかけにしか聞こえないのである。核兵器国を巻き込むどころか、核兵器国とりわけ米国に取り込まれているだけではないだろうか。広島出身の岸田さんが、核兵器問題をライフワークとしていることは大切なことだと思う。願わくば、「核兵器は必要悪ではなく、絶対悪」という被爆者の声に一刻も早く応えるためのシナリオに書き直していただきたいと切望するところである。

2017年12月14日記