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核兵器をなくす日本キャンペーン
インターンのユース・木場笑里さんに訊く

 以下は、2026年7月3日、木場笑里さんにオンラインでインタビューを行った内容を編集部がまとめたものである(文責:事務局)。聴き手は、日本反核法律家協会の田中恭子事務局が務めた。文中の脚注は編集部による。

Profile

プロフィール

木場 笑里(こば・えみり)さん

長崎県出身。活水高等学校を卒業後、上智大学法学部に入学。現在、地球環境法学科で学ぶ2年生。上京後、核兵器をなくす日本キャンペーンでインターンとして活動する。祖母が長崎で被爆した被爆3世。

左 インタビュアー田中事務局 右 木場笑里さん

本日は、よろしくお願いいたします。木場さんは、活水高校時代から高校生平和大使などをお務めになったそうですね。

ノルウェーで祖母の被爆経験を話す

 はい、活水高校では平和学習部に入部して、先輩たちと一緒に校外で高校生1万人署名などに取り組みました。この活動に参加する中で、高校3年生のときに、ノルウェー派遣高校生平和大使に選ばれ、オスロに派遣していただきました。実は2018年から高校生平和大使もノーベル平和賞にノミネートされていて、その関係でノルウェー・オスロに渡り、現地でノーベル委員会のメンバーに会ったり、現地の高校生と交流したりしました。
 ノルウェーは欧州圏で核保有国のフランスにも近いし、出発前はその影響など懸念していたのですが、オスロ市の中心には、大きなノーベル平和センターがあり、毎年ノーベル平和賞を受賞した方・団体の記念展示会が行われ、町全体が平和に対して関心が強く、平和に対する思いも同様に強いのだなと実感しました。ノルウェーにも多くの平和な世界を求める団体があることを知って、嬉しく思いました。現地の高校との交流では、まず私たちから高校生1万人署名活動について説明し、広島の平和公園をグーグルマップを使って案内したり、また私は被爆者である祖母の話をしたりして、その後一緒に千羽鶴を折ったりもしました。

ノルウェーの高校生は、皆さんのお話をどのように受け止めていましたか。

高校生平和大使としてノルウェーにて

 私は高校1年生のときに、平和学習部の一員としてアメリカに行ったことがありましたが、アメリカでは表立って言わなくても原爆投下は正しかったという認識がベースにありました。一方でノルウェーでは、初めて被爆者の体験を聴いて、核兵器は怖い、自分たちも核兵器廃絶を訴えていきたいといった、とても肯定的な意見を直接聴くことができて、私にとってとてもいい経験になりました。

木場さんが核兵器廃絶や平和の活動にかかわるようになった、最初のきっかけは何だったのでしょう。

 長崎出身なので、小学生の頃から平和という言葉自体に馴染み深く、毎年8月には体育館に全校生徒が集まって、被爆者の話を聴いて黙とうするという習慣が身についていたと思います。ただ平和教育を受けるだけでなく、実際に自分もアクションを起こしたいと思うようになったきっかけは、中学2年のときに学校の平和教育の一環で沖縄のひめゆり学徒隊のアニメーションを観たことでした。自分と同じ世代の少女が、戦争のために身を削り、最後は自ら命を絶つという出来事に触れ、平和の重みを知りました。そこで平和学習部のある活水高等学校を選んで進学し、活動するようになりました。

木場さんのお祖母さまが被爆者でいらっしゃるとうかがいました。そのことも、影響されているのでしょうか。

祖母と

 活水高校の平和学習部に入ってすぐ、高校生1万人署名などに取り組むようになったのですが、それまで祖母から被爆時の話を聴いたことはありませんでした。でも活動を始めて、やはり身近な人の話も聴いておきたいと思い、高校1年の夏、何気なく祖母に聴いてみたんです。祖母も家族の前で被爆の話をするのは初めてのことでした。家族も何かタブーのように感じていて、本人が言わない限り、訊いてはいけないのではないかという雰囲気があって、直接尋ねたことはなかったようです。
 祖母は当時6歳、爆心地から3.6キロのところ、梅香崎町に住んでいました。原爆投下後に入市した被爆者(入市被爆者)で、投下時の影響は受けていませんが、入市被爆者にも様々な被害がありました。爆心地から少し離れた場所というのは、火葬場になりやすく、そこで毎日人が焼かれていたということは今でも記憶に残っていると話してくれました。私が高校2年のときに、祖母と一緒にその近くを歩いてみましたが、本当に住まいの目と鼻の先が火葬場で、今でも思い出すのは匂いだ、と祖母は語っていました。
 私が尋ねるまで祖母が当時のことを語らなかったのは、祖母は自分の母親から「絶対に言ってはいけない」「もう思い出さないで、誰にも話してはいけない」と言われていたことが理由だったようです。当時、被爆者に対する差別は激しく、現実に結婚できなかった人もいたそうです。被爆者の方たちは、被爆の影響だけでなく、差別などの付随する影響にも苦しんできたのだと、そのとき改めて感じました。
 祖母に初めて話をさせてしまったことに、ある意味で責任を感じています。でも孫の私が尋ねたことがひとつのきっかけになって、祖母も自分のできることをしようと思った、と言ってくれました。道すがら、高校生が署名活動をしているのを見ていたけれども、自分の孫がそれをやっているとなると、自分事として受け止めるようになったと言ってもらえて、自分の活動が誰かにつながるその嬉しさを感じました。

お祖母さまから受け継いだ記憶も木場さんの活動を支えているのですね。上京され上智大学に進学されてからの活動についてお話しください。

 上京して驚いたのは、平和の捉え方がとても広いな、ということでした。長崎では、平和の問題というと核兵器に直結していたのが、東京では難民移民問題や環境問題、東京大空襲などさまざまな切り口がある分、核兵器という特殊な兵器の問題意識が薄まっているような気がして。もちろん、切り口がたくさんあるのはいいことだと思いますが、その中で「核兵器」が近寄りがたい問題と受け取られているようで、どうやってそれを自分事として考えてもらえるのかが大切だと思います。広島・長崎が核兵器を平和の問題の筆頭にするのは大事なことだと思うし、その姿勢は残していくべきと思いますが、一人ひとりが地球環境や気候変動といったさまざまな切り口から、自分と関連のあることとして核兵器の被害について学ぶことも必要だと思います。
 私は上智大学法学部の地球環境法学科に在籍しています。高校時代の平和学習部の活動の中で、初めてマーシャル諸島の方々とお会いして、核兵器は人間にだけでなく環境にも甚大な影響を及ぼすものだと知り、その切り口から学んでみたいと思って選んだのです。現在は、環境法に関する授業に加えて、国際法の授業をとるようになりました。そこでダイレクトに核兵器に関連する国際条約や軍縮について学びたいと思っています。

そんな思いを持ちながら、核兵器をなくす日本キャンペーンの活動にかかわるようになったのは、どんなきっかけがあったのでしょう。

 上智大学への進学が決まってから、長崎新聞で核兵器をなくす日本キャンペーン(以下、日本キャンペーン)が発足しますという記事を読みました。東京に落ち着いてからも何か活動をしたいなと思っていた中で、日本キャンペーン発足1周年イベントにボランティアとして参加し、さまざまな反核平和団体がある中でも、やはりこの団体がいいなと思い、2025年11月からインターンとして活動するようになりました。
 インターンを行う中で、とてもいい環境だなと思いました。そのまま長崎に足場を置くのも悪くないと思っていたのですが、上京してみて、今まで出会うことのなかったNGOで活躍してこられた豊富な知識を持つ先輩たちに出会い、そういった方々と勉強していると、これまで自分が知らなかった核の実態などを学ぶことができます。特に、現在の国際情勢について最先端の知識を得られ、さらにそれを受けて核兵器廃絶のアクションを起こすというのがいいなと思っています。国際情勢の日々の動きにあわせて、核兵器廃絶というアクションを起こしているNGOなので、私も毎度ホットな話題についていくことができるのは新鮮な体験です。高校時代は、発表・発信する機会には恵まれていましたが、その分自分自身が学ぶことが少なくて。日本キャンペーンではオンライン会議やイベントに参加することができ、発信することと学ぶこととを両立できる活動スタイルなのが、私にとっても貴重な機会になっています。高校時代おろそかになっていた知識を蓄え、その学びを活かして行動につなげるという習慣、インプットした情報をイベントの企画や報告書の作成といったかたちでアウトプットするという習慣がつくられつつあるなと実感しています。

今、日本キャンペーンのインターンとしては、どんな活動をされていますか。

国会議員との面会

 ボランティア全体のミーティングが月1回、広報担当のミーティングが週1回くらいのペースでオンライン会議を行っている他、核兵器廃絶日本NGO連絡会の定例会にも参加しています。
 インターンとしては週1日が活動日で、インスタグラムやXを使ったSNS発信や、ホームページのサイトでも日本キャンペーンの活動や執筆した記事を発信しています。イベントを開催した後にどんな報道がされているかをリサーチしてまとめる作業も行っています。2026NPT開催にあわせたウェビナーに参加する前には、ホームページの内容を事前勉強することなどもありました。
 最近では、安保三文書改定前に、国会議員に面会して私たちの提言(※1)を渡したりしました。また、2025年11月から始まった月1回の国会議員勉強会(※2)に、自分の勉強も兼ねて参加しています。月に1回、最近のトピックに合わせて、各党からそれぞれ1~2名ぐらいずつの方々が参加し、最近の勉強会では、早稲田大学客員教授の太田昌克さんをお招きして、非核三原則の歴史について講義していただきました。登録している議員さんは30名程いますが、いつも参加されるのは12~13名ぐらいですね。核兵器をなくそうという強い思いを持って参加される方もいますが、国会議員全体からみれば正直なところまだまだ少数です。毎回被爆者の方たちも何名か参加されている中で、この光景は少し悔しいなと思います。

日本キャンペーンの活動で、これまで一番嬉しかったこと、逆に一番大変だなと思われたことは何ですか。

日本キャンペーンのイベントで発言する木場さん

 上京するまで、全国には核兵器廃絶を願う人がどのくらいいるのか知りませんでした。2025年1月に、核兵器禁止条約発効5周年イベントで、YouTubeで全国各地をつないで配信するという企画に取り組んだのですが、本当に全国各地で核兵器廃絶の活動をしている人たちがいることを知り、また直接関わることができて、同じ思いの仲間が広島・長崎だけでなく全国にいるんだ、と思ってとても嬉しかったことが印象に残っています。
 一方で、日々の報道に接すると、私たちのやっていることに意味があるのかな、と悔しくなることがあります。あまりにも軽々しく核共有という言葉が使われるようになり、自分には何もできないのではないかと。世界を見渡しても、国際秩序が壊され、力による平和がまかり通っている状況に、これまでの80年間は何だったんだろうという思いがこみ上げてきて、大変というよりは、やはり悔しい思いです。
 けれども、今は直接会えなくても、長崎で被爆者の方たちが毎月のように頑張っていることを記事で読んだりすると、まだまだ自分も頑張らなきゃなと思います。高校時代、毎月9の日に被爆者の方たちと一緒に黙とうする、そういう集まりの中で出会った方たちの顔を思い出すだけで、元気をもらえます。

木場さんは、将来どういう方向に進みたいとお考えですか。

 将来は、やはり核兵器の非人道性を世界の共通認識にできるような取り組みにかかわりたいと思っています。祖母が被爆者で自分が被爆三世であるというバックグラウンドが消えることはありません。これから先、被爆者の方がこの世からいなくなっても、被爆者を忘れないで、という声を挙げ続けていかなければいけないと思っています。そのために、何ができるか考えています。それが、NGOに入ることになるのか、それとも研究職に就くのかなどの具体的なことはまだ分かりませんが、核兵器廃絶を求める活動を続けていくつもりです。
 これまで被爆者の方がボランティアでやってこられたことを、私たちがそれを仕事として収入を得るというのは本当に厳しい道だろうなと感じていますが、被爆者の方から自分たちが死んでも若い人に受け継いでほしいと言われていたことを思い出すと、やはり忘れてはいけない、と感じ、勝手にですが使命を感じています。これまで被爆者の方たちに多くの場面で助けてもらいました。今度はその恩返ししていかなくては、という気持ちが一番にあります。

最後に、これから運動を進めていくうえで何がポイントになると思われますか。今一番訴えたいことをお話しください。

 最近は、核兵器をただの兵器と勘違いしている人が多いと思います。そうではないということを、若い世代に向けてしっかり伝えることが重要だと思っています。私たちは、核兵器は悪魔の兵器であることを、被爆者の証言を通して認識しているはずです。そのことをいろいろなかたちで伝えていきたいと考えています。今も続く戦争で、同じ若い世代が傷ついている事実を知ることが一つのきっかけになるでしょうし、それを自分事として、核兵器が落とされれば誰よりも自分が一番傷つくのだということを、まずは知ってもらいたいです。
 そして、やはり力による平和はあり得ないということ、核のタブーも揺らぐ中で、平和というものは世界共通の法によって守られるべきだという認識を広げていくことが大事だと思います。最近は正確な知識をもたずに、ネット上で安易に、匿名で発言する風潮が広まる中で、私たちがしっかりと事実をもとに世界に発信していきたいと思います。

本日は、長時間にわたり貴重なお話をいただき、有難うございました。


  1. 「2026 国家安全保障戦略への提言 核兵器をなくす― それが日本の安全保障」 https://nuclearabolitionjpn.com/wp-content/uploads/2026/02/2026NSS-proposal.pdf 参照。
  2. 日本キャンペーンサイト「日本の超党派国会議員勉強会-市民社会はどのようにしてそれを実現したか?」 https://nuclearabolitionjpn.com/archives/12930
    中国新聞2025年11月26日付 「核軍縮推進」超党派国会議員勉強会 https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=157810
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